P34 原田市長の散歩道 東日本大震災5周年  東日本大震災から5年目を迎える3月11日、宮城県岩沼市の追悼式に参列し、翌日は福島第一原子力発電所事故の被災地を視察した。  岩沼市へは、被災直後に市民から寄せられた義捐金をお届けし、平成24年4月からは本市の下水道課技術職員1人を今日まで続けて派遣している。  この間、市民の被災地支援活動や子どものサッカーチーム受け入れ、両市議会の交流も行われ、平成25年11月に締結した「防災交流都市協定」に続き、この秋には「友好都市協定」の締結が予定されている。  岩沼市民会館で行われた追悼式には、遺族の皆さんら千人余りが参列し、私も木市議会議長とともに袋井市民を代表して指名献花を行った。献花の際に行われた中学3年生の千葉桃華さんによる被災者代表の言葉では、悲しみを乗り越えて力強く生きる日々が語られ、大変感動した。  岩沼市は宮城県の中で震災復興が最も進んでおり、津波対策として海岸沿いに「千年希望の丘」が作られ、津波被害のあった玉浦地区の集団移転も完了し、5月にはすべての仮設住宅を取り除くことができると伺った。  翌日は、常盤自動車道を南へ向かい、原発事故の被災地へ入った。  南相馬市、浪江町と進むにつれ道路脇の放射線量計の数字が上昇し、3・2マイクロシーベルト/時間(袋井市役所付近は0・05マイクロシーベルト)となり、道の両側に積まれた除染土を入れた黒い袋も次第に数を増していった。  浪江町に入ると、各所に「帰還困難区域」の表示や身体表面の放射線量などを検査する「スクリーニングポイント」があり、道路を封鎖する警備員の姿も見られた。  除染により表面の土が取り除かれ見た目がきれいになった田畑と違い、避難時のままの姿を留めた家屋敷では草木が生い茂っており、改めて原発事故のもたらす影響の深刻さを感じた。  『天災は忘れたころにやってくる』は、戦前の物理学者・寺田寅彦の有名な言葉だが、まさしくその通りであると思う。  私たちは、昭和19年の東南海地震、平成7年の阪神・淡路大震災、そして5年前の東日本大震災を教訓として地震対策を推進する必要があるし、市民の皆様にも日ごろから備えをしていただくことが大切であると思う。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課 シティプロモーション室 「街の写真館」 メール hisyo@city.fukuroi.shizuoka.jp @かわいい妹 9月に誕生した妹を優しく見守るお姉ちゃんとお兄ちゃん。これから3人で仲良く元気に成長してね。 (右から)安田帆花ちゃん、乙葉ちゃん、怜央くん A初めてのお正月♪ 良い事ありますように! 安間一稀くん 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第1回 久野城と久野氏@  1616年に東海道袋井宿が開設されてから、今年でちょうど四百年。10月29日・30日に開催される記念祭では、「時を越えて 夢をつなぐ」をテーマに、袋井宿が開設されてからの袋井市の歴史的な出来事を再現する「時代絵巻パレード」が実施されます。  このコラムでは、「時代絵巻パレード」で再現する袋井市の史実をご紹介していきます。  まずは、市の指定史跡・久野城を築城した久野氏について…  久野城は、袋井宿が開かれる百年以上前に、久野宗隆により築かれました。宗隆は、可睡齋の始まりにも貢献し、現在も可睡齋で開基としてまつられており、深見の長泉寺にも伝承が残っています。その後、城主は元宗、宗能へと引き継がれ、戦国の荒波を越えていきます。  宗能は、徳川家康の家臣として、武田信玄の城攻めにも負けず、高天神城攻めや掛川城に立てこもった今川氏真との戦いで活躍。1590年に、家康の関東移封に伴い、下総国佐倉藩(千葉県)へ移りました。