P32 原田市長の散歩道 「袋井市の将来」  袋井市は、人口の増加率が長泉町に次いで県内で2番目に高く、高齢化率は2番目に低く、合計特殊出生率は3番目に高いので、全国的に人口が減少し、高齢化が進む中でも、数少ない若くて勢いのある市と言える。  これは、土地区画整理事業が効果的に行われ、子育て環境にも優れていることが理由であると思う。  昭和50年頃から行われた土地区画整理事業などによって、優良な宅地が、若い世代に手頃な価格で供給されたことによって、定住はもとより、移住を促進し、人口や出生数の増加につながったものと言える。  今日までの30年間に、18か所・約335ヘクタールの土地区画整理を行い、この間で人口が約3万人増えているので、1ヘクタール(約3千坪)当たり100人増えた計算になる。  都市公園が太田川や原野谷川沿いに整備されていて、1人当たりの都市公園面積が県内で3番目に広く、子どもたちが自然に触れて、のびのびと育つことができる環境が整っていることも強みである。  「カンガルーのぽっけ」などの子育て支援センターも早い時期から設置されて、市内に7か所と数多くあり、子ども医療費の助成や認可外保育園利用者への補助も他市に比べて手厚いことも子育て世代が多く住んでいる理由になっている。  しかし、決してこれで十分ではなく、市立幼稚園の預かり保育を充実しても、依然として、保育園に入れない待機児童がいるので、保育園を増設することが求められている。  これから10年先の袋井市では、少子化対策と併せて、大勢の団塊の世代が後期高齢者の中核を占めることから、高齢化対策も必要になってくる。  若くて勢いのある今こそ、両方を見据えた施策の計画を樹立する機会であると思う。  袋井の優れた地域コミュニティを基盤にして、保健・医療・介護の拠点である「はーとふるプラザ袋井(市総合健康センター)」の業務を各地域まで満遍なく広げ、同時に地域全体で子どもを育てるシステムをつくることによって、市内どこでも若い子育て世代と健康なお年寄りとが一緒に暮らせるまちになっていくに違いない。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課シティプロモーション室 「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @男子 浅羽ミニバスケットボールクラブ A女子 浅羽スーパーソニックス 8月27・28日に、男子は浅羽東小学校で、女子は浅羽南小学校で、メロンカップが開催されます。チーム一丸となり最後まであきらめず全力で頑張ります。見に来てください! 男女とも、随時、部員を募集しています! 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第4回 久野城と北条氏@  元和5年(1619年)に久野宗成が伊勢田丸城(現三重県)へと移ると、下野国富田(現栃木県)から北条氏重が1万石の石高で久野城主となりました。  氏重は、保科正直の四男として生まれ、家康の命で北条氏勝の養子となりました。母は家康の異父妹で、家康の甥にあたります。彼の出世は久野城から始まり、最終的に3万石の大名に出世しました。  氏重は、横須賀城(掛川市)や田中城(藤枝市)の城番や江戸城西の丸築城、家康の霊廟のある増上寺の増築とともに、大番頭(警備隊長)を歴任し、深見神社や沙汰神社(鷲巣)、冨士浅間宮(国本)の再建に貢献しています。  寛永17年(1640年)に氏重は下総関宿(現千葉県)に移ることとなり、横須賀城主が久野城を管理することとなりましたが、その後、新たな城主が着任することなく、正保元年(1644年)に廃城となります。廃城直後は多くの建物が残されていたようで、大手門は掛川城の北門へ、搦手門は海蔵寺などへ移されたと伝えられています。