P28 原田市長の散歩道 「盆踊り」  7月から8月にかけて、市内各地で納涼祭が開催され、私も地元をはじめ、いくつかの夏祭りなどに参加する。  開会は、夕方5時ごろの西日が残っている時間帯なので、あいさつで、「暑いですね」と、つい言ってしまうが、日中から準備していた方々は、もっと暑かったわけで、心配りが足りない言葉だったといつも反省する。  焼きそばとフランクフルトソーセージなどが振る舞われることが多く、焼きそばは、中に入っている具も麺の硬さも会場ごとに異なっていて、作り手が暑い中で工夫して焼いてくれたことが伝わってきて、おいしくいただいている。  暗くなると盆踊りが始まる。練習したわけではないし、生来不器用で下手な私だが、身体を動かすことが好きなので、踊りの輪の中に入っていく。  もちろん間違えるし、うまく踊れなくて恥ずかしいけれど、斜め前にいて上手そうな人を見つけては、まねるようにしている。  2・3回繰り返して、やっと慣れてきたころには終わりになってしまうので、ほっとする反面、少し残念な気もする。 今年の10月29日(土)・30日(日)の東海道袋井宿開設四〇〇年祭の中で、「市民総踊り」が予定されている。  この総踊りの練習が毎月第3木曜日の夜、総合センターで行われている。3種類の踊りがなかなか覚えられなくて、すぐ上手にできる子どもたちと比べ、相当見劣りすると思い、恥ずかしくなる。  私たちは、自分の格好良くない姿を他人に見られることを恥ずかしく感じるが、逆にこの「他人の目」が私たちを緊張させ、上達させているとも言える。  盆踊りでも暗いとはいえ、周りから見られているし、まして10月の総踊りは日中行われるので、みんなに見られると思うと上達しようと努力することになる。  私は仕事柄、人前に出て他人に見られる機会が多いので、背筋を伸ばしたり、スピーチの内容や組み立てを考えたりして格好悪くならないように努めている。  時々、他人の目を意識しなくなれば気楽でいいと思うこともあるが、そうすると自分自身に甘くなり、適度な緊張感もなくなって、自分の成長もなくなってしまうかもしれないと思い、「他人の目」を自分への戒めと考えるようにしている。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課シティプロモーション室「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @きれいな睦公園 管理をしていただいている皆さんありがとうございます。 川島 勇さん A仲良し 実家のチワワ(トロン)と娘、どちらも5キログラムです 増田 陽葵ちゃん 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第5回 久野城と北条氏A  久野城の発掘調査では、久野城最後の城主、北条氏重の時代に、本丸部分などの山頂部分の大規模な破城を行い、山麓部分を埋め立て建物も整備したことが確認されています。秀吉政権から徳川政権に代わったことを、秀吉政権の象徴でもあった天守や櫓を破却することで示し、戦乱の世が終わって平和な時代が来たことを領民や東海道を行き交う諸大名に知らしめようとしたと考えられます。  久野城最後の城主、氏重を取り巻く人々にはよく知られている人物もいます。  氏重と異母兄弟の保科正光は、信濃高遠初代藩主として知られ、妻は真田昌幸の娘です。また、正光の養子の正之は、二代将軍秀忠の三男で、後の陸奥会津藩主となります。そして、氏重の四女・たえは、八代将軍吉宗の時代の江戸町奉行としてその名の知れた「大岡越前守忠相」の母となります。  氏重は、久野城から下総関宿(現千葉県)へ移った後、駿河田中城(藤枝市)主を経て掛川城主となり、万治元年(1658年)に死去しました。菩提寺の上嶽寺(名栗北原川)には、氏重の墓のほか、葬列図、肖像画、木像などが残されています。 10月29日・30日に市内で袋井宿開設記念祭を開催し、「時代絵巻パレード」を実施します。このコラムでは、パレードで再現する袋井市の史実をご紹介しています。