P36 原田市長の散歩道 「栄冠は君に輝く」  今年の夏の秀逸なことは、好天の下での花火大会と袋井高校野球部の活躍であった。  毎年、天気の心配をする「ふくろい遠州の花火」が1週間前からの予報どおり良い天候に恵まれた。少し風があって煙もうまく流れ、全ての観客が心ゆくまで夏の夜を彩る見事な花火を楽しんで、ゆっくりと帰途についた。  夏の高校野球県大会では、袋井高校の決勝戦進出に市民が沸いた。2回戦・3回戦と勝ち進み、準々決勝で第2シードの日大三島高校に大接戦の末、勝利したあたりから、市民の熱気も一段と高まり、草薙球場へ多くの市民やOB・OGが駆け付けた。  私も準決勝・決勝戦は、予定を変更して応援に行った。  準決勝の浜松商業戦は、若い頃、袋井高校の野球部長を務めた元県教育長の遠藤さんと一緒に応援し、高校野球の見所も併せて教わった。浜商が1回裏に3点先取し、なお続く1死3塁の好機を強攻策で生かせなかった時、「いつもの浜商野球らしくない」と遠藤さん。袋高が4回表に一挙7点を取った時には、そのつながり方を褒め、その後の追加点を予告していた。  翌日の決勝戦は、磯部校長の隣に座って応援した。常葉菊川高校に押されて、毎回苦しい状況であったが、終盤の敗色が濃くなった時でも、「頑張って!」と大声で声援を送る磯部校長に、「人生は苦しい時をじっと耐えていくことが大切ですよ」と子どもを励ます母親の姿を見る思いがした。  袋井高校が甲子園に出場できなかったことは残念であったが、「高い山は一気に登らず、休みながら登る」の例えどおり、今回の準優勝をベースに今後必ずや頂点を極めるものと信じている。  創立41年目の袋井高校は、文武両道を旨とし、今夏活躍した野球部を含めて、全ての部活を夜8時までとし、シーズンが終わった後は、勉学に励んでいると聞いている。  限られた条件の中で、効率的で中身の濃い練習をし、仲間を信じて優勝を目指して懸命に戦った彼らに高校野球の神髄を見た。夏の全国高等学校野球選手権大会の歌である『栄冠は君に輝く』こそ、彼らに一番似合うと思う。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課 シティプロモーション室 「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @妹ができたよ! 妹ができて、うれしいお兄ちゃんたちです。 井畑光大郎くん(7歳)、颯介くん(4歳)、七海ちゃん(6か月) A一升餅せおったよ! 私たちみんなをいつも笑顔にさせてくれて、ありがとう♪  鈴木あんちゃん 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第6回 お茶壺道中行列  袋井宿開設四〇〇年記念祭の「時代絵巻パレード」では、本市の姉妹都市である長野県塩尻市(奈良井宿)で伝統的に実施されている「お茶壺道中」を再現します。  幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて宇治(京都)から江戸まで運ぶ行事を「お茶壺道中」と呼び、茶壺道中が制度化されたのは1633年(寛永10年)のことです。  毎年4月下旬から5月上旬になると、茶壺付添人ら(8〜14人)が茶壺とともに江戸を出発。茶詰めは、採茶師が宇治に到着してから茶道頭立ち会いのもとで始まります。茶詰めを終えると茶壺は封印、納めた箱には鍵がかけられ、細心の注意が払われました。  茶壺道中は、五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通る際には、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、田畑の耕作が禁じられたほどです。  わらべうた「ズイズイズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺に追われて トッピンシャン 抜けたら ドンドコショ」は、田植えで忙しい百姓たちが茶壺道中を風刺した歌で、庶民は行列を見ることが許されなかったため、「茶壷が来たら、家の戸をピシャッと閉め、過ぎたらホッと一息ついた」という様子だと言われています。 10月29日・30日に市内で袋井宿開設記念祭を開催し、「時代絵巻パレード」を実施します。このコラムでは、パレードで再現する袋井市の史実をご紹介しています。