P30 原田市長の散歩道 「スクラムでギネスへ」  2019年にエコパで開催されるラグビーワールドカップの成功に向けて、袋井市も準備を始めた。  外国からの大勢のお客さんを迎えるため、8月からオーストラリアとニュージーランドの若者2人(国際交流員)を職員に迎え、市民の英語力向上への取り組みを行っているし、市内の案内看板の英語表示なども行っていく予定である。  9月11日には、袋井青年会議所が主催して、エコパを会場に2,019人のラグビースクラムを組んで、ギネスブックに登録しようという企画も行われた。  この世界記録を目指す壮大な試みに、市も賛同し、困難が予想される人集めの部分を支援することになった。  幸い当日は、天気も良く、川勝県知事、ヤマハ発動機ラグビー部の清宮監督と選手たち、ふくろい未来大使で歌手のニコラス・エドワーズさんも駆け付けてくれた。  受付では、青年会議所の皆さんが寄付金で作った赤色と黄色の2種類のTシャツを積み上げて、多くの市民の来場を首を長くして待った。  市内各地で開催された体育祭と重なったこともあって、予定の2,019人には届かず、残念ながら1,565人にとどまった。しかしながら、1,297人が今までの世界記録であったので、世界新記録は樹立できると確信が持てた。  赤色と黄色に分かれてスタンドに陣取った人数を、ギネスから派遣された公式認定員が1人で数えるのに大変な手間が掛かり、大幅に予定時間を超過してしまった。直射日光の下で、長い間待ち続けてくれた参加者の方々に、大変な苦痛を強いたものと申し訳なく思っている。  赤色と黄色に半数ずつ分かれて、全員が緑の芝生のピッチに並んだ姿は壮観であった。ほとんどの人にとって、初めて組んだスクラムであり、男性も女性も子どももいる状況であったので、どうなるものかと心配であったが、一度目の失敗のあと、二度目には見事に成功した。  私も「クラウチ」・「バインド」・「セット」の掛け声に合わせて、正面の知事とお互いに頭を下へ入れ込んで、スクラムを組んだ。投げ込まれたボールを外へ蹴り出した瞬間、スクラム成功が宣言され、全員で喜びの万歳をし、空からはドローンがその姿を撮影していた。  ラグビーワールドカップまであと3年。様々な喜びや越えなければならない壁もあると思うが、市民みんなで取り組むことによって、必ず成功するし、袋井の市民力もより大きくなると信じている。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課 シティプロモーション室  「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @1歳、おめでとう! 1歳の誕生日おめでとう!兄妹3人仲良くね〜☆ (左から)石田楓馬くん(12歳)、千花ちゃん(1歳)、花乃音ちゃん(7歳) A9月に1歳になったよ! ママに抱っこされて気持ちよさそうな孫の大蔵くん  鈴木大蔵くん(写真は8か月の頃) 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第7回 享保の象の行列  東海道は人や荷物以外にも早飛脚や例幣使なども通行。その中でも当時の人々を驚かせたのが象でした。  多くの人が目撃した象は八代将軍徳川吉宗が直々に取り寄せた象で、1728年(享保13年)、唐船に乗って長崎に2頭がやってきました。残念ながらメスの象は死んでしまいましたが、生き残ったオスの象は、翌年3月13日、吉宗のいる江戸へと出発しました。  将軍への献上品である「御用の象」は、飼育係とともに体重が3トンもある巨体と長い鼻を揺らしながらゆっくりと行進。大名行列などのもてなしに慣れている沿道の人々も、初めての経験に戸惑いました。  4月26日に京都へ到着し、美濃路を経て揖斐川・長良川・木曽川を渡り、赤坂から浜名湖を迂回するため姫街道を経由、浜松から東海道を進み、5月11日には袋井で一泊したとされています。その後、日坂を越え金谷で泊まり、大井川・富士川を渡り、富士山南で東進する行列の様子は小田切春江の「日本年歴一覧」に描かれています。  江戸城へ参内したのが5月27日。この象の旅は約1,200キロメートル以上、およそ80日に渡りました。 10月29日・30日に市内で袋井宿開設記念祭を開催し、「時代絵巻パレード」を実施します。このコラムでは、パレードで再現する袋井市の史実をご紹介しています。