P36 原田市長の散歩道 「役になり切る」  今年を振り返ると、記憶に強く残るいくつかの出来事があった。  10月末の袋井宿開設四〇〇年記念祭は好天に恵まれ、5万5千人と予想をはるかに上回る人出があり、大変にぎわった。  私は、時代絵巻パレードで久野城主・久野宗能に扮した。北条氏重役で出た俳優の西村雅彦さんと会食した際、「役になり切ること」が大切であると教わった。映画の撮影では、個々の俳優が監督と脚本家が思い描く役に徹し切ることで初めて全体の調和がとれ、良い作品が撮れるという。  今回は、本格的な冑と鎧が用意されていたので、眼鏡をはずし、口ひげをつけて、久野宗能になり切ろうと心掛けた。周りで見ていた人の中には、私であることが分からない方もいたが、ガニ股で城主らしい歩き方を通した。  市民総踊りでは、袋井中央交番前から静橋を渡り、旧東海道まで、市の職員と同じ服装をして、大勢の踊り手と同じ気持ちになって踊った。  11月初旬には、全国の市長有志で東京電力の福島第一原子力発電所を視察した。  郡山駅からバスで2時間余りで発電所へ到着した。厳重なチェックを受けて所内へ入ると、まだ放射線量が高いため、特別仕様のバスで構内を回ることとなった。事故から5年半が過ぎたのに、1〜3号機は、爆発したままの姿であり、原子炉の底にたまっている溶けた核燃料を冷却し続けるのが精一杯で、取り出す工程表を作る見込みも立たない状況であった。事務棟の中の指令室に通され、当時の吉田所長が官邸や本社と激しい口調でやり取りした様子も知ることができた。  横に座った相馬市長が事故時の苦労話をいろいろ聞かせてくれた。政府からは「避難する・しないは、市長の判断で」と言われて、元医者であった自分が持っていた放射能と健康についての知識を全て出して市民に語りかけることで、指示に従ってもらったという。  市民の信頼を得るのに大切なのは、自分が指揮官になり切ることである。そのためには、自信を持って説得できる情報と知識を普段から有していることが必要であると思う。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課シティプロモーション室「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @怖楽しいね♪ 遊園地の気球に乗って。 けんかもするけど仲良しいとこ同士 今村優斗くん、福田新大くん Aねーねが食べさせてあげるよ♪ じーじのバスに乗ってさくらんぼ狩りへ。楽しかったね!!これからも元気に仲良く大きくなってね♪ 優音ちゃん、友愛ちゃん 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第9回(最終回) 井伊家と袋井市  大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放映が決まり、井伊直虎の名が全国的に知れ渡りました。浜松市を主な舞台とする直虎の活躍ですが、袋井市も井伊家にゆかりがあります。  袋井東小学校南東にある妙日寺にかつて暮らした貫名重忠は、井伊氏から分かれた一門です。直虎から遡ること十一代前の盛直の子、政直から貫名氏は始まり、三代目が重忠であり、今でも地名が残っています。また、直虎を養母として育った直政の子、直勝は1615(元和元)年に初代安中藩主(群馬県)となりました。1632(寛永9)年には隠居して長男・直好に家督を譲ります。  直好は1659(万治2)年に遠江掛川藩主に着任し、隠居である直勝もこれに従いました。油山寺に移築されている山門は、直好が掛川城整備の一環として御殿前に造営した御殿下御門です。また、直勝、直好親子は可睡齋を墓所としており、大型の五輪塔が境内にまつられています。  袋井宿の開設前からの史実をご紹介してきたこのコラムも今回が最終回。  今を生きる私たちは、この歴史を保存、継承するとともに、これからのまちづくりに生かし、新たな時代を創ることが求められています。