P02-03 大門遺跡発掘調査〜県内2例目の銅鐸形土製品が出土〜  袋井駅南都市拠点土地区画整理事業に伴い、袋井駅南口周辺の発掘調査が進められている大門遺跡。これまで弥生時代から鎌倉時代の住居跡などが確認される中、令和元年8月に県内2例目となる銅鐸形土製品が見つかりました。  同土製品の出土は、銅鐸文化が伝わっていたことを示すとともに、当時の袋井を知る上で貴重な手掛かりとなるものです。 問 生涯学習課文化財係TEL23-9264 大門遺跡とは  高尾にある弥生時代から江戸時代にかけての集落遺跡で、これまでの発掘調査から、主に弥生時代・古墳時代・奈良時代・鎌倉時代の住居や倉庫の跡、土器や陶磁器などが見つかっています。  日当たりの良い丘陵上の南斜面に位置し、しっかりとした地盤や原野谷川や湿地などの水辺への近さといった暮らしやすい環境のもと、約2000年前から集落が発展してきました。  遺構や遺物の傾向から、JR東海道本線を挟んで北に位置する掛之上遺跡と一連の遺跡であると考えられています。 銅鐸形土製品の出土とそれが持つ意味  銅鐸形土製品は、弥生時代にマツリ(祭祀)で使われた銅鐸を土でまねて作ったもので、県内での出土は、浜松市の角江遺跡に続いて2例目となります。  大門遺跡で出土したものは、幅5センチメートル、高さ6・4センチメートルのほぼ完形品で、高さ1メートル近くになる本物の銅鐸と比較すると、かなり小さく、かわいらしいものです。  銅鐸は、佐賀県から静岡県西部で出土していて、これらの地域では近畿地方を中心とした共通のマツリ文化を持っていたと考えられています。  袋井市は、銅鐸が出土している地域(銅鐸分布圏)の東限にあたりますが、今回、大門遺跡から銅鐸形土製品が出土したことで、袋井でも銅鐸の模倣品を使ったマツリが営まれていて、近畿地方の文化を積極的に受け入れていたと考えることができるのです。  貴重な資料が出土した大門遺跡。市では同地の開発に伴い、今後も発掘調査を続けていくことで、袋井の歴史を知る手掛かりとしていきます。 大門遺跡から出土した銅鐸形土製品 銅鐸の特徴をよく捉えていて、鈕(つまみ)や鰭の部分まで表現されている。 大門遺跡の遺構・遺物で知る古代の人々の暮らし どんな家に住んでいたの?    調査区全体で、建物の跡や土坑、溝などを確認。建物は、地面を掘りこむ半地下式の竪穴式住居と、地面に柱穴を掘って建てる掘立柱建物が見つかっています。  弥生時代 ■竪穴式住居 古墳・奈良・鎌倉時代 ■掘立柱建物 どんなものを使っていたの? 弥生時代 ■お米を炊く・盛るための食器 古墳・奈良・鎌倉時代 ■水などを入れる食器・盛る食器 ■魚を取る道具(鎌倉時代) 土錘とは、漁で使う網に取り付けた土製の錘のこと。遺跡の南端に集中して出土していることから、南側の湿地や川で漁をしていたのかもしれません。 発掘調査と出土品等の履歴 昭和37年 東海道新幹線建設に伴う発掘調査にて、弥生時代中〜後期の土器が出土 昭和57〜58年 旧中央公民館(現袋井南コミュニティセンター)建設に伴う発掘調査にて、弥生〜古墳時代の竪穴式住居と掘立柱建物、弥生時代の方形周溝墓、奈良時代の大型掘立柱建物の跡を発見 昭和62年 消防車庫建設に伴う発掘調査にて、弥生時代の竪穴式住居の跡を発見 平成元年 旧保健センター(現子ども早期療養支援センター「はぐくみ」)建設に伴う発掘調査にて、鎌倉時代の掘立柱建物の跡を発見 平成18〜21年 県道拡幅に伴う発掘調査で、弥生時代の竪穴式住居の跡を発見 平成30年7月〜 袋井駅南都市拠点土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。令和元年8月、銅鐸形土製品が出土 開発などにより、やむを得ず遺跡が失われてしまう場合、事前に発掘調査を行い、記録を後世まで残します。 2000年前の遺跡も僅か50センチ下の世界。遥か昔から続く袋井での歴史の中に、今、私たちも生きている  今から約2000年も前の弥生時代の遺物の発見と聞くと、どこか地中深くから出てきたのかと思われがちですが、土製品が出土した大門遺跡は、私たちの立つ地表から僅か50センチメートル下に眠っていたものです。 こんなにも近い場所に昔の人々の生活の跡が残っているなんて面白いですね。今回の発見を機に、皆さんもぜひ、袋井の地で紡がれてきた人々の長い歴史に思いを馳せてみてください。 生涯学習課文化財係 北嶋未貴 学芸員