P04-05 大門遺跡から見た袋井の弥生時代  市駅南都市拠点土地区画整理事業に伴い、平成30年度から高尾地区で行っている発掘調査。これまでに約1・3ヘクタールの調査を行い、銅鐸形土製品をはじめ様々なものが出土しています。 そのなかでも、弥生時代(約1,700〜3,000年前)の遺構や遺物は特に多く、徐々に昔の人々の生活の様子が明らかになってきました。今回は、その調査成果をもとに約2,000年前の袋井の姿を紹介します。          問 生涯学習課文化財係 TEL23-9264 最近の大門遺跡の調査  大門遺跡とは、高尾にある弥生時代から江戸時代にかけての集落遺跡で、袋井駅南口の東側一帯に位置しています。市教育委員会では、遺跡の南西側から順に発掘調査を行い、弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代などの集落跡を発見しました。 発掘された大小様々な穴や溝跡を調べていくと、丸い形の竪穴式住居の遺構や四角い形の掘立柱建物の遺構などの建築物の痕跡が見つかりました。住居跡には赤く焼けた土の跡(炉跡)もあり、当時の人々が家の中で煮炊きをした生活感が伝わってきました。 稲作がきっかけで袋井の人口が増加?  紀元前4世紀ごろに九州北部から稲作が始まり、西日本から順に農耕社会に変わったと考えられています。静岡県内に稲作が伝わると、またたく間に人々の暮らしは狩猟・採集を中心としたものから稲作を営むムラ(集落)での生活に変わりました。 市内にある弥生時代の遺跡の数は、縄文時代の遺跡の数と比べて大幅に増加していることから、稲作に適した太田川流域の低地を求めてやってきた人々が袋井に定住し、人口が増加したと推測されます。 大門遺跡の遺物から見える弥生時代の衣食住 (衣)石製の紡錘車の一部が1点出土しています。これは糸を紡ぐ道具で、糸から機織機で布を織り、衣服を作っていたと考えられます。小さな1点の紡錘車の出土から、この時代に機織りの技術があったことが分かります。 (食)様々な形の弥生土器が出土しました。用途に合わせて使い分けていたようです。 (住)小型の石斧が6点出土。住居用の木材を伐採する時に使われたと推測されます。鋭く作業効率の良い鉄製品が普及していた弥生時代に、石製の道具が発見されるのは珍しいことと思われるため、今後の調査例の増加を待ちたいところです。 袋井の弥生時代を知る 遺跡マップ 市内にある弥生時代の主な遺跡を紹介します。 1 一色前田遺跡(宇刈)  周囲が大きな堀で囲われていました。この堀はムラを守る防御施設と考えられています。地域で争いがあった時に立てこもる砦のような働きをしていたのかもしれません。 2 石原沢遺跡(村松の東部、掛川市との境)  丘陵上から弥生時代後期の土器棺墓が出土。この地域の首長墓と考えられています。 3 愛野向山遺跡(愛野公園東側)  山から多数の遺構や遺物が発見されました。墓の中から小銅鐸と舌(中に吊り下げて音を鳴らすためのもの)が発見されており、実際に音を鳴らして使っていたことが分かります。 4 掛之上遺跡(袋井駅北東)  住宅街の下で多数の穴や掘立柱建物跡が発見された遺跡で、銅鐸の小破片も発見されています。 5 団子塚遺跡(高尾〜諸井にまたがる段丘上)  ゴルフ場開発時に発掘された遺跡。住居や建物の跡は少なく、方形周溝墓(四角形の墳丘を造り、周りに溝を巡らせた弥生時代の墓)が多く発見されました。周囲にはかつて、大きな池があったともいわれており、下流の諸井方面の水利権を持っていたムラが池を運営していたと考えられます。 6 鶴松遺跡(袋井インターチェンジ北側) 7 土橋遺跡(袋井インターチェンジ南側)  2つの遺跡からは大量の弥生時代中期から後期にかけての弥生土器が出土しています。大きな堀のあとからは原形をとどめた土器が出土しており、太田川の洪水で流されて埋没したものと考えられます。 8 徳光遺跡(袋井インターチェンジ南側)  住宅工事中に長さ150センチメートル幅70センチメートルの巨大な木箱が掘り出されました。箱は方形周溝墓に埋葬された棺で、通常であれば木製品は朽ちてしまいますが、この地は水に浸かった状態で埋まっていたため完全な形で残っていました。 9 堀越ジョウヤマ遺跡(袋井インターチェンジ東側)  弥生時代後期の遺物が多く出土。このうち木製の鋤は良品で、水田や農業用水の開発に使用されたと推測されます。 「大門遺跡発掘調査 速報展」開催 時 6月20日(月)〜7月15日(金)午前9時〜午後5時(土・日曜日、祝日休館) 所 歴史文化館 ※詳しくは本紙10ページに掲載 人口が増加した理由は稲作の影響だけじゃない!? 生涯学習課文化財係 深澤麻衣学芸員  縄文時代後期から弥生時代にかけて、袋井では遺跡の数が増加している一方、静岡県東部ではその数が激減しています。実はこの頃、富士山の爆発的な噴火が4回起こったといわれていて、富士山の噴出物の被害を受けた県東部の人々が難を逃れるために袋井に移住してきた可能性があるんです。  実は、私も4月に県東部から西部に引っ越してきたばかりなので、ちょっとした縁を感じています。