P02-03 開創1300年記念 法多山の歴史と田遊び  遠州三山の1つとして知られる「法多山 尊永寺」(以下、「法多山」)は、2025年に開創1300年を迎えます。また、今年3月には、正月行事である「法多山の田遊び」が国指定重要無形民俗文化財となりました。  これらを記念し、法多山の歴史や田遊びについて紹介します。 問 生涯学習課文化財係 TEL23‐9264 戦国武将も信仰した法多山  真言宗の古刹・法多山は、聖武天皇の勅願により、東大寺の大仏造立に尽力した僧侶・行基が725年(神亀2年)に開き、平安時代には白河天皇、後白河天皇の勅願寺となったと伝わっています。  法多山に残された古文書からは、多くの戦国武将の庇護を受けていたことが分かります。駿河(現在の県中部)の今川家の4代の当主(氏親・氏輝・義元・氏真)のほか、甲斐(現在の山梨県)の武田勝頼や高天神城(掛川市)城主の小笠原氏からも法多山の領地が承認されるとともに、地元の武士からも土地が寄進されていました。また、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が1590年(天正18年)に法多山に宛てた文書では、現在の愛野・広岡・浅羽のほか、掛川市領家にまで領地が及んでいたことがわかります。その石高は205石で、遠江国(現在の県西部)の寺院の中で2番目に大きいものでした。 開創1300年記念「愛染堂」  今年5月、法多山では、開創1300年を記念して「愛染堂」を建立しました。奈良時代に造られた「法隆寺夢殿」を手本にした八角堂で、ご本尊には当時の技法「乾漆技法」が用いられています。 伝統行事「法多山の田遊び」  「田遊び」とは、その年の米の豊作を祈願する伝統芸能で、神仏の前で稲作の過程をまねた演技を行います。  法多山では、修正会(五穀豊穣や国家安泰を祈る正月行事)の芸能として、毎年1月7日に田遊びを開催。地域の方々(法多山田遊祭保存会)が7段の舞を演じています。  この「法多山の田遊び」は、遠州地域やその周辺に見られる田遊びの特徴をよく伝えている重要な伝統芸能として、今年3月、新たに国指定重要無形民俗文化財となりました。 郷土資料館企画展「法多山の寺宝」  本紙で紹介した寺所蔵の古文書や田遊びの道具を展示・紹介します。 時 10月12日(土)〜11月23日(土) 所 市郷土資料館・近藤記念館 料 無料 国指定重要無形民俗文化財 法多山の田遊び 7段の舞を解説! 第1段「太刀の舞」 第2段「棒の舞」  太刀や棒を振る所作を、南北・東西・中央に向かって行い、芸能の場を祓い清めます。 第3段「白鍬」  柳の小枝を持って、今年初めての田起こしを祝う歌や田植え歌を唄い、あらかじめ米の豊作を祝います。 第4段「田打ち・牛ほめ」  田打ち(田植えの準備のために水田を鋤き返す)の様子を演じます。農夫の兄弟が、昼飯を自慢したり、嫁役が引いてきた代掻き(水田に水を入れて土をならす)の牛をほめたりします。 第5段「のっとう」  苗代に種もみをまく所作を行い、水口(水田に水を取り入れる口)で行う祭の祝詞を唱えます。田遊びの中で、この歌が最も難しいといわれています。 第6段「鳥追い」  5人で太鼓の周りを回りながら、苗代作りや米作りの害となる鳥や虫を追い払う歌を唄います。 第7段「そうとめ」  田植えの様子を演じます。花笠を被った植え手のそうとめ(早乙女)と、羯鼓を背負い両手にばちを持った苗運びのかっこう役が登場して演舞。遠州一円の神仏の名を唱え、苗の成長と秋の実りを祈願し、7段の舞を締めくくります。 「大弓放ち」  七段の田遊びが終わると本堂東にある白山神社に上り、大弓で2本の矢を放つ所作をします。 伝統の舞を生で見よう 法多山の田遊び 令和7年1月7日(火)開催 時 午後0時30分〜 ※正午より、演者が行列を組み、門前から本堂へ向かいます。