P24 もっと身近に 共生社会 問 問しあわせ推進課 障がい者福祉係 TEL44‐3114 避難行動要支援者を対象にした避難計画「個別避難計画」の作成を進めています  「個別避難計画」とは、高齢者や障害のある方など、災害時に自ら避難することが困難な方(避難行動要支援者)を対象に、個別に作成する避難支援のための計画です。  あらかじめ「避難支援者の有無」や「緊急時の連絡先」、「避難誘導時や避難先での留意事項」などの情報を記録し、地域の支援者間で共有することで、災害時の備えとします。  災害が発生した時、支援が必要な人がどこにいるかを把握していれば安否確認や救出・救助などの対応を円滑かつ迅速に行うことにつながります。 計画作成の対象  自宅にお住まいで、次の@〜Bいずれかに該当する方など  @要介護認定3以上  A身体障害者手帳(1、2級)を持っている  B療育手帳(A)を持っている 計画作成済の人数  市内全域で約400人(令和6年度) ■市民のみなさんへ  この計画は対象となる方に作成の意向を確認し、7〜8月にかけて地域の協力を経て更新を行っていますが、情報の共有は自治会の範囲内など限定的なものです。  災害時は全員が被災者となるため、計画を作成した避難行動要支援者の方を支援できない状況や個別避難計画を作成していない方に対しても支援が必要となる状況が起こり得ます。  普段からご近所同士で顔の見える関係を築いておき、地域の防災力を高めることが、被害を最小限に抑えることにつながります。  計画の作成有無に限らず、近所に単身の高齢者や身体の不自由な人がいる方は、災害時にどのような支援ができるか考えていただけると幸いです。 ふくろい 懐かしの風景 vol.29 問 生涯学習課 文化財係 TEL23‐9264 佐藤商店(浅名)  静岡鉄道駿遠線は、昭和42年(1967年)8月22日まで、新袋井駅から新三俣駅(現在の掛川市)までの17・4キロメートルを走っていました。  駿遠線の車両には、客車と貨車の2種類があり、上りの貨車では、新横須賀駅(現在の掛川市)から主に米やムシロ・縄などのわら製品が袋井まで運ばれ、そこで国鉄(現JR線)の貨車に積み替えられていました。そして下りの貨車ではセメント・建材・燃料などが運ばれていました。  当時、現在の浅羽支所の近くに駿遠線の「浅名停留所」がありました。この付近はのんびりとした雰囲気の水田地帯で、ホームから西の方角を見ると田んぼの中に「三菱プロパン」「金物 建材 薪炭 雑貨」と書かれた佐藤商店の看板が見えました。 その頃の佐藤商店は、町役場への建設資材の納品や、薪や練炭などの各戸配達をはじめ、手広い商売をしていました。佐藤商店の扱う商品の大部分は駿遠線を使って運ばれてきました。この写真は、駿遠線の廃止の日に撮影されたものです。