P04-05 秋葉線・駿遠線の痕跡を探そう! 昭和100年企画展「昭和ふくろい途中下車」 駿遠線・秋葉線で使われていた道具や資料を展示しています。 時 3月1日(日)まで 午前9時〜午後5時(入館…午後4時30分まで) 所 郷土資料館 昭和100年 秋葉線・駿遠線がつないだ昭和のふくろい  今年は、昭和元年(1926年)から数えて昭和100年にあたります。  昭和の時代、市内では静岡鉄道「秋葉線(昭和37年廃止)」と「駿遠線(昭和45年廃止)」の2つの鉄道路線が運行しており、当時の国鉄「袋井駅」周辺は両路線に乗り換える多くの人でにぎわっていました。今回、昭和100年を記念して、「秋葉線」と「駿遠線」を紹介します。 問 生涯学習課文化財係 TEL23‐9264 秋葉線と駿遠線  「秋葉線」は、新袋井〜遠州森町間の約12キロメートルを結んだ路面電車です。明治35年(1902年)に秋葉馬車鉄道として開業した後、静岡電気鉄道と合併し、大正15年(1926年)には北遠の水力発電による電力を利用した路面電車に変わりました。  「駿遠線」は、新袋井駅から南の田園地帯を進み、横須賀(掛川市)方面へ延びる軽便鉄道です。大正3年(1914年)に開業した中遠鉄道を前身とし、大正14年(1925年)には新三俣(掛川市)まで路線を延長しました。  昭和18年(1943年)、静岡電気鉄道と中遠鉄道は他の交通会社と合併し、それぞれ静岡鉄道の「秋葉線」「中遠線」となりました。中遠線は、昭和23年(1948年)に同鉄道の藤相線と結ばれて「駿遠線」と名前を変え、袋井から藤枝を結ぶ日本最長(64・6キロメートル)の軽便鉄道となりました。 戦後の足となった鉄道と袋井駅  昭和19年(1944年)の東南海地震により両路線は大きな被害を受け、秋葉線の支線である可睡線(可睡口〜可睡)が廃線となりました。  戦後、両路線は食料の買い出し客に多く利用されました。両路線は、通勤・通学の足として利用されたほか、秋葉山や可睡斎への参詣客、海水浴客も輸送しました。貨車を連結して、米・茶・繭・わら製品・ミカン・カキ・メロン・ウナギなども運びました。  両路線からの乗り換えや貨物の積み替えでにぎわった袋井駅は、移動や輸送の拠点駅でした。袋井駅に降り立つと、正面に赤レンガ造りの駿河銀行袋井支店が出迎えます。 銀座通り(西通り)を進むと、昭和7年(1932年)にコンクリートの橋りょうに架けかえられた静橋があり、周辺では盆踊りや花火大会などの行事が行われました。有楽通り(東通り)には旅館や商店が並び、昭和40年(1965年)代までは3軒の映画館もありました。 モータリゼーションの波で消えた鉄道  昭和30年(1955年)代になると、自動車の普及により、バスやトラックによる輸送が増加し、鉄道の需要は減少していきます。 秋葉線は、昭和37年(1962年)に雑誌に掲載され全国的に話題となったものの、同年9月20日に廃止。駿遠線は、戦後に蒸気機関車をディーゼル機関車に改造して輸送能力が向上されましたが、乗客や貨物の確保が難しくなり、昭和42年(1967年)8月28日に新袋井〜新三俣間が廃止され、代わりにバスが運行されるようになりました。 秋葉線・駿遠線と入れ替わるように、昭和39年(1964年)には東海道新幹線が、その5年後には東名高速道路が開通。このように、今日につながる交通環境が整備されていきました。