P18 輝くふくろいの人 日本画に挑み続けた28年間 果てしない努力で辿り着いた「自分の絵」 日本画家 浅原哲則さん(富里) 「自分が起きているのか寝ているのか分からない状態でも、構わず筆を持ち続け、ひたすら何時間も絵を描き続けました。あの日々があったからこそ、今の自分の絵があるんです」  自身のアトリエにずらりと並ぶ作品の数々を眺めながらそう話すのは、浅原哲則さん・78歳。昨年3〜4月に公益財団法人日本美術院が開催した国内最大規模の日本画展覧会「第80回春の院展(以下、院展)」において、初の入選を果たし、昨年6月には院展の研究会員にも推挙されました。 人一倍の努力で習得した日本画技術」  小学生の頃は、放課後に1人残って絵を描くほど絵が好きでしたが、しばらく絵とは無縁だった浅原さん。今後の人生を見つめ直すため、50歳で国鉄(現JRグループ)を退職したことを機に妻に後押しされ、心のどこかで憧れを持っていた日本画の世界に飛び込みました。  日本画の経験はゼロ。日本画を描くうえで欠かせない「岩絵具」の使い方の習得には巧妙な技術を要し、並々ならぬ努力が必要だったといいます。 「飛び込んだからには結果を出したいと思っていましたが、何十年も日本画を学ぶ画家たちに追いつくには、その人たちの何倍も筆を持つべきだと思いました。独学で、1日16時間、寝る間も惜しんでアトリエで絵を描く生活を十数年続けましたね。体は限界を迎え、毎日苦しかったですが、それくらいやらないと間に合わないと思ったんです」  その努力が実り、徐々に実力が認められ、浅原さんは数々の賞を受賞しました。 高山辰雄の作品との出会い  順調に日本画家としてのキャリアを積んでいった浅原さんですが、60代の頃、自分の絵に納得できず悩んだ時期があったといいます。そんな時、1点の絵が大きく心を動かしました。 「何気なく、院展の大御所である高山辰雄さんの展示会へ足を運んだのですが、絵を見た瞬間、『これだ!』と思いましたね。人の内面や物語性が伝わってきて、強く感銘を受けました」  少しでも高山さんに近づこうと、浅原さんはひたすら絵を描き、研究を重ねました。そして、70代になり「自分の絵」に辿り着きました。 更なる高みへ。院展への挑戦  浅原さんの向上心はとどまることを知らず、昨年、日本画のプロが集う院展に初挑戦しました。  出展したのは「憶」という絵。完成までに約半年を費やした作品で、倉庫のような場所に置かれた自転車と帽子が描かれており、誰かの心の奥でかすかに記憶されているワンシーンを表現しています。「憶」は見事入選し、浅原さんは全国の精鋭と名を連ねました。 「まさか入選するとは思わず、結果を手紙で見た時は嬉し涙がこぼれました。応募の際、不安感が拭い切れずためらっていた時も、緊張で結果をなかなか見られなかった時も、妻や友人が私の背中を力強く押してくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」 生涯「自分の絵」を描き続けたい  浅原さんは現在、日本画教室を開きながら次に出展する作品の製作に励むという忙しい日々を送っています。 「これからは『院展に入選した人の絵』として見られるんだなと責任感がより一層増しましたが、これからも自分の絵を安定して描き続けたいですね。上手い下手は関係なく、生涯筆を持って、ずっと同じ熱量で絵と対峙していきたいです」  50歳にして新たな挑戦を始め、真摯に日本画と向き合った成果が実を結んだ浅原さん。今日も自分の絵を極めるため、キャンバスと向き合います。