P26 原田市長の散歩道 「コンピューターとの囲碁対局」  先日、静岡県囲碁連盟会長八木勇さんの大倉喜七郎賞の受賞を祝う会が静岡市で開催された。日本の囲碁発展に尽くした人に贈られる最も栄誉のある賞だけに日本棋院や経済界から多くの著名人が出席し、私も日本棋院中遠支部長の野中さんと共に出席し、祝辞を述べた。  八木さんには、7年前にエコパで開催された世界アマチュア囲碁選手権や10年前に月見の里学遊館で行われた全国ねんりんピック囲碁大会の実行委員長を務めていただいて大変お世話になったので、優れた人柄と功績に敬意を表し、心からのお祝いの気持ちを伝えた。  席が隣り合った日本棋院副理事長の山城9段と囲碁がもたらす教育効果や頭脳トレーニングについて話をしているうちに、アメリカのグーグル社の人工知能コンピューターが世界最強棋士の韓国の李9段を破った話になった。  人工知能コンピューターがチェス、将棋は打ち負かしても、今まで何度も挑戦したが勝てなかった囲碁に、新しい方法を編み出して勝ったのであった。それは、従来の「過去の対戦を可能な限りコンピューターに記憶させておき、対局時に蓄えたデータの中から最善の手を取り出す」方法から「局面ごとに人工知能が戦況や相手の様子を読み取った上で、一番適する手を打つ」方法に変えたことによる勝利で、まさしく考えることができる人工知能コンピューターの誕生が実証されたことになった。  ロボットは、同じ動作を正確に何百、何千回もできることで、人より何百倍もの力を発揮する産業用ロボットから、人間と同じように考えて行動もできる人工知能を持つ時代へ入ってきた。  私たちのこれからの生活様式も変わることになる。車は自動運転機能を持つようになり、ロボットが掃除・洗濯・食事の支度の大半もでき、事務の仕事の分野も行うようになるに違いない。  いつの日にか感情までも有するロボットが誕生する時が来るかもしれないが、私たちが持つ喜怒哀楽の感情こそは、表す時も、方法も、程度も、千差万別であり、まさに人間の個性そのものであるので、ロボットがたどり着けない最後の領域と思いたい。  これからの私たちに必要なものは、健全な身体とともに、人間らしい個性豊かな感受性を持つ心であると思う。 街の写真館 「街の写真館」では、地域やサークルの行事、お気に入りの写真やお子さんの写真などをお待ちしています! 住所・氏名・電話番号・写真のタイトルと簡単なコメントを書き添えて、郵送・Eメールでお送りください。 送り先 〒437-8666 袋井市役所企画政策課 シティプロモーション室 「街の写真館」 メール kikaku@city.fukuroi.shizuoka.jp @ちいさな歌舞伎役者☆ 1,505グラムで生まれたけど、やっと退院できました!これからぐんぐん大きくなってね☆  松浦悠斗くん A上手に持てたよ♪ 両手を使って物を持ち、なんでも口に運びます(笑)。 山本愛友佳ちゃん 〜時を越えて 夢をつなぐ〜 袋井宿開設四〇〇年 第2回 久野城と松下氏  1590年(天正18年)、徳川家康の関東移封とともに、久野城・城主の久野宗能も下総佐倉(現千葉県)へ移ってしまいました。その後、豊臣秀吉の配下の武将、松下之綱が1万6千石で城主となりました。秀吉は家康をけん制するため、配下の武将を東海道沿線の城主とし、それぞれの城の拡張と整備を行っていました。  之綱は、頭陀寺の館(現浜松市)に住んでいた頃、秀吉が初めて出仕した人物として知られています。之綱は火縄銃の時代に適応するため久野城の整備を進め、瓦ぶきのやぐらや門などの建物が建てられました。大きな天守閣こそありませんでしたが、天守と呼ばれるやぐらが建てられていました。  1598年(慶長3年)に、之綱の跡を重綱が継ぐと、主を豊臣氏から徳川氏へとくら替えします。1600年(慶長5年)に勃発した関ヶ原の戦いでは東軍へ参加していますが、1603年(慶長8年)に無断で久野城の石垣を築いたことを理由に、常陸小張(現茨城県)1万6千石へ移封となりました。重綱の移封後、久野藩は一時廃止されました。