4月2日 可睡斎護国塔除幕開塔式
可睡斎護国塔
可睡斎護国塔除幕開塔式記念絵葉書
こちらの絵葉書を御覧ください(右写真)。
消印を見ると「護国塔除幕開塔式紀念/明治四十四年四月二日」とあります。可睡斎護国塔除幕開塔式の絵葉書です。
可睡斎護国塔については、明治39年(1906)2月に発行された「戦役紀念 護国塔建設旨意書」という史料に、いくらか情報が記載されています。
それによると、可睡斎護国塔の建築担任技師は「工学博士 伊東忠太」。発願人總代には、「可睡斎主 日置黙仙」、「陸軍々医總監 左藤進」などの名前があり、賛成者總代として、「陸軍大将男爵 児玉源太郎」、「海軍大将 東郷平八郎」の名前があります。
「戦役記念 護国塔建設旨意書」
「戦役紀念 護国塔建設旨意書」に収録されている、「戦役紀念護国塔建設趣意書」(名前がほぼ同じなので、少しややこしいですね)には、可睡斎護国塔建設の意図が記されています。
それによると、日露戦争の戦没者の慰霊のために護国塔を建設するのだといいます。そして、なぜ可睡斎に建てるのか、ということについて、その理由も記されていますから、該当部分を抜き出してみましょう。
而して其之を建立するの地として遠州秋葉總本殿可睡斎の浄域中なる丘上を選定する所以は、抑同斎は東海道の中央に位し交通至便なり。且つ有栖川幟仁親王殿下より曩に護国殿の扁額を賜ひ、同宮殿下祈願の道場にして、信徒数十万を有し、荘厳なる一名刹たるは衆人の知らるゝ所なり。
要約すると、1.可睡斎は東海道の中央にあり交通が便利、2.有栖川宮幟仁親王から以前護国殿の扁額をいただいている、3.有栖川宮幟仁親王の祈願所であり、信徒も数十万人いる、有名な寺院である、という三つの理由によるようです。
本当にこの三つの理由によるのか、それとも、実際にはこれ以外の理由があるのかは、これらの史料からは分かりません。
可睡斎護国塔は、昭和53年(1978)3月24日に静岡県指定文化財建造物に指定されました。高さ17mの鉄筋コンクリート造り、人造石洗出仕上げの円形ドーム、とのことです。
人造石洗出仕上げと言われても、専門家でない私にはよく分かりませんが、セメントモルタルに、砂利や玉石などの種石を混ぜて塗り、表面を洗って種石を露出させて造る仕上げ方法のことだそうです。
古文書学的に絵葉書を読んでみよう(伝来編)
さて、ここで、冒頭で紹介した絵葉書について古文書学的に考えてみましょう。
とはいえ、難しいことは書きません。言ってみれば、この史料について考えれば当たり前のことを確認することで、古文書学のやり方を覗いてみようというだけのことです。
ちょっとした頭の体操のつもりで、少しだけお付き合いください。今回は、古文書の「伝来」について考えてみます。
この可睡斎護国塔除幕開塔式の絵葉書は、袋井市出身の方の家に伝来し(保管されていた、と言った方が正確でしょうか)、袋井市に地域の歴史資料として寄贈されたものです。投函された葉書ですが、ここで、絵葉書を投函する時、人はどのような相手に投函するのか、考えてみましょう。
最も多いのは、旅先のお土産として、旅先で購入して地元もしくは遠方に住む家族か友人に送る場合ではないでしょうか。
とすれば、袋井市の絵葉書(使用済み)は、袋井市内には残りにくいと考えられます。
ここで少し昔と今との感覚の違いについて触れておくと、明治~昭和のはじめくらいには(当然江戸時代の書状もそうですが)、私的な手紙や葉書は、今のメールやSNSに近い、ちょっとしたやりとりのためのツールでした(手紙には「そちらにいる友達みんなにも見せてね」と書かれることもあり、SNS的な性格もうかがえます)。
気楽なやりとりのツールとして、葉書について考えてみます。葉書でやりとりをしたければ、官製葉書を買えばいいのです。今回の可睡斎護国塔除幕開塔式の絵葉書がいくらで売られていたかは分かりませんが、おそらく、通常の官製葉書の方が安価でしょう。高価で、文字を書くスペースも小さな絵葉書は、日常的な地域内でのやりとりには不向きです。
また、記念絵葉書を本当に記念として購入したなら、あまり使用はされないでしょう。
絵葉書の宛先の方は長溝の人なので、少々遠方の人と言えなくもないですが、今回の絵葉書を含む資料群には、宛先の方が収集したとみられる絵葉書が大量に残されていて、どれも袋井市外のものや静岡県外のものなど、彼が旅先で購入したとみられるものが多く、現在の袋井市内のものは、今回紹介した可睡斎護国塔除幕開塔式の絵葉書以外にはありません。
絵葉書の手紙部分拡大
しかし、可睡斎護国塔除幕開塔式の絵葉書は使用され、袋井に残されました。なぜでしょうか。
宛名面を見ると、宛先の方の肩書きは静岡県警察部、差出人は、遠州袋井町の方です。なお、絵葉書を含む資料群の他の文書から、宛先の方が江尻署などに勤務していたことが分かっています。
葉書に書かれた文面は下のとおりです。
本日除幕式ヲ挙行セラレタル護国塔御覧ニ入申候。
塔ノ中央ニ立テ居ルハ斎主日置黙仙僧ニ有之候。
要するに、「今日除幕式を挙行した護国塔を御覧に入れますよ」とのことです。
また、先に書きました絵葉書コレクションから、宛先の方が絵葉書収集を趣味としていたらしいことがうかがえます。
つまり、今回紹介した絵葉書は、遠くに就職した、絵葉書収集が趣味の友人に、「この前、私の地元でこんな催しがあって、こんな記念絵葉書が出てましたよ」と送ったものだと想像できます。
その絵葉書を、宛先の方が袋井に持って帰ってきて保管したので、今、この絵葉書は袋井に残されているのです。
考えてみればたいしたことではないのですが、「なぜここにこのような史料が残されていたのだろう」という問いは、古文書学の基礎となる要素の一つです。今回のような考えやすい例から、伝来の理由を考える練習をしておくと、いつか難しい古文書と出会った時に、思いがけず役に立つかもしれません。
この記事に関するお問い合わせ先
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〒437-1102
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更新日:2023年10月26日