袋井市の縄文時代 その2

更新日:2022年10月21日

袋井市の縄文時代

中期~後期

     袋井市域で見つかった集落跡には長者平(ちょうじゃびら)遺跡と大畑(おおばたけ)遺跡があり、共に小笠山(おがさやま)丘陵の西南山麓に位置しています。

縄文時代 遺跡分布図

     長者平(ちょうじゃびら)遺跡は昭和53年以来続いた発掘調査によって、今から約5,000年前に集落が営まれ、4,000年前には遠江(とおとうみ)でも有数の大集落に発展しましたが、3,500年前に突然人々がいなくなり廃絶したことがわかりました。

     集落は、住居、墓地、祭り場、広場、集会所などから成り立ち、掘り出された6棟の竪穴住居跡はすべて円形でした。住居は2棟がセットとなり、広場を取り囲むようにして、段丘の縁に分布していました。

長者平遺跡 昭和53年度 東発掘調査のようす

長者平遺跡 昭和53年度 東発掘調査のようす

長者平遺跡 姿をあらわした竪穴住居跡

長者平遺跡 姿をあらわした竪穴住居跡 

長者平遺跡 全景(南から)

長者平遺跡 全景(南から)

長者平遺跡 炉跡(中に焼土がみられる)

長者平遺跡 炉跡(中に焼土がみられる)

     大畑(おおばたけ)遺跡からは、貝塚が見つかっています。コイやウナギなどの内陸魚の他に、エイ・ニシン・ボラ・スズキ・クロダイ・カレイ・マグロなどの沿岸、外洋に棲む魚の骨も多く含まれています。土壙(どこう)と呼ばれる墓穴からは手足を折り曲げて葬る屈葬(くっそう)人骨が出土し、竪穴住居の隣に埋葬された犬の骨も見つかりました。
     大畑(おおばたけ)遺跡から出土する土器から様々な地域との交流が窺えます。縄文時代中期前葉には中部高地系の土器、中期末葉になると関東地方や西日本の土器も出土するようになり、その後も様々な地域の土器が出土しています。

大畑遺跡 昭和62年度調査地全景

大畑遺跡 昭和62年度調査地全景

大畑遺跡 母子の人骨(昭和55年度調査)

大畑遺跡 母子の人骨(昭和55年度調査)

大畑遺跡 埋葬された犬

大畑遺跡 埋葬された犬

縄文時代の道具

土器

     袋井市で出土する縄文土器からは様々な地域との交流がうかがえます。

     縄文時代中期前葉には中部高地の影響をうけた土器が多く出土しており、中期末葉になると関東地方や西日本の土器も出土するようになります。

     中部高地では中期になると人口が爆発的に増加し、この地域で作られたタイプの縄文土器が様々な地域に流通するようになります。袋井市でも中期前葉には中部高地との交流を重視していたものと考えられ、中部高地系の土器が多く出土しています。しかしながら、中部高地の文化が徐々に衰退していく中期末葉~後期になると他地域の文化との交流を進めていったことも土器の型式からうかがい知ることができます。

縄文土器1

大畑遺跡出土 縄文土器(中期前葉)

縄文土器2

 

 

大畑遺跡出土 縄文土器

(左 後期末葉・右 中期前葉)

石器

打製石斧(だせいせきふ)

     土を掘る道具や木を切る道具として使われていたと考えられています。

磨製石斧(ませいせきふ)

     木を加工する道具として実用的に使われている場合もありますが、祭祀の道具として祀るために使われることもあったと考えられています。

石鏃(せきぞく)

     石で使われたやじりで、当時の人々が弓矢を使って狩猟をしていたことがうかがえます。

石匙(いしさじ)

     獣の皮を剥ぐ道具として使われた石器です。つまみの部分が作られているところが特徴的です。

石錘(せきすい)

      漁撈のためにつかう網につけるおもしとして使われた石器です。河川で魚を捕まえて生活していた様子がうがかえます。また、割れてしまった土器を再利用して、おもしに加工したものは土錘(どすい)と呼ばれます。

石匙(中央上)    石鏃(右上)

磨製石斧(左上 左下) 打製石斧(右下)

 

土錘(左) 石錘(右)

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静岡県袋井市浅名1028
電話:0538-23-9264
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