大野命山・中新田命山

更新日:2022年07月11日

大野命山・中新田命山について

延宝8年(1680)閏8月に近世最大の台風が中国地方から東海、関東、東北の広い範囲を襲い、東海地方では吉原、大井川、横須賀、浅羽、浜名湖口で高潮被害が拡大しました。横須賀城下の被害は大きく、民家6,000軒が流出、溺死者300人と記録されています。城の西側の西同笠、東同笠、同笠新田(大野)、中新田、今沢新田の村々に水没し『百姓伝記』には300人の溺死者の記録が残ります。

『長溝村開発由来記』には「天地を揺るがすような大風に誰もが肝を潰していたところに急に津波が押し寄せ、海岸通りの大囲堤は波で打ち切られ、浅羽中(村)まで波が入り込んだ。潮の高さは米丸村(浅岡)で5尺余り(約1.5m)、東同笠、同笠新田(大野)、中新田にかけての浜通りでは家々が押し流され、天井まで潮が満ちてきたので屋根を破って棟に上がったが、波に打ち砕かれて死ぬ人も多かった。その場は助かっても棟にしがみついたまま流され、江之端まで浮きつ沈みつつ流されてきて堤に当たって家が砕けて死亡するものもいた」と記されています。

当時の大野・中新田は三方を水面に囲まれた村で、水害を受けやすい土地だったため、被災後に残された人々は土を積み上げて避難所の水塚(命山)を築きました。

大野命山

大野命山

中新田命山

中新田命山

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