浅羽佐喜太郎公紀念碑

更新日:2022年07月12日

袋井市指定文化財史跡

 「浅羽佐喜太郎公紀念碑」は、平成10年(1998)7月31日に、文化財として指定されました。

ベトナムの民族運動家が建立した石碑

 「浅羽佐喜太郎公紀念碑」は、ベトナムの民族運動家で、20世紀初頭のベトナム人の日本留学運動である「東遊運動」(ドンズー運動)を組織した、ファン・ボイ・チャウ(1867~1940)によって建立されました。
 ファンの自伝である『獄中記』と『自判』によれば、兵器を買おうと秘かに来日した際に革命資金を援助してくれた、神奈川に住む医者、浅羽佐喜太郎(現在の袋井市梅山出身、1867~1910)への感謝の思いを後世に残すため、ファンへの監視の目が緩んだ第一次世界大戦直後、1918年に秘かに来日し、佐喜太郎の出身地に、村の協力を得て石碑を建立したとのことです。

佐喜太郎とファンは1度しか会ったことがない

 佐喜太郎とファンの交流を示す史料は、石碑そのものと、石碑建立後にファンが書いた自伝である『自判』の2つしかありません(『獄中記』には佐喜太郎は登場しません)。
 その『自判』を見てみると、ファンは、共通の知人を介して資金援助を求める手紙を送った時、「知らない人からいきなり資金援助を求められて、お金を出す人がいるのだろうか」と不安がっています。
 ファンの予想に反して、お金は、その返事の手紙と共に届きました。
 その後、ファンが警察につかまり、離日する直前に、ファンは国府津の佐喜太郎宅を訪ねました。
 その時のことを、ファンは、「初めて訪れた」と書いています。
 ファンが離日してすぐに、佐喜太郎は亡くなりました。
 当事者であるファンの記録を見る限り、二人は1度しか会えなかったようです。

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習課文化財係

〒437-1102
静岡県袋井市浅名1028
電話:0538-23-9264
メールアドレス:syougai@city.fukuroi.shizuoka.jp

みなさまのご意見をお聞かせください(生涯学習課)

返信を希望される方は、住所・氏名・連絡先(電話番号・Eメールアドレス)を記載して下さい。

このページの情報は役に立ちましたか?
このページの情報は見つけやすかったですか?
このページに関してのご意見がありましたらご記入ください。