『遠江国山名郡川井村水帳』
『遠江国山名郡川井村水帳』
『遠江国山名郡川井村水帳』表紙
『遠江国山名郡川井村水帳』は、昭和49年(1974)10月24日に、袋井市指定文化財古文書に指定されました。
何通りかの写本があるようですが、袋井市指定文化財に指定されているのは、その内の3冊です。
指定されている3冊の内、2冊は、『袋井市史 史料編二 近世』(袋井市、1982年)17号文書として、pp.27-66に収録されています。
収録されていないもう1冊は、破損が大きく、文字が読みにくいのですが、頑張って読んでみると、収録されている史料の1冊目と同内容のようです。別写本なのでしょう。江戸時代には、重要な書類は、原本のほか、手元控えや、関係村役人などの分として、たくさんの写本が作られました。そうしたものは、大抵(まれに個人的なメモとして写したものがあります)、どの書類も本物として手続きを踏んで作成されたもので、当時効力を持っていました。
水帳に書かれていること
表紙拡大「水[ ]」
上に掲げた写真では、文字が崩し字で書かれている上に破損していて読みにくいですが、「水帳」と表紙に書かれています(右に拡大写真/正確には「水」の下は破損)。
水帳とは検地帳のことで、課税のため、田畑や屋敷など、土地一筆ごとの査定を行った、その結果が書かれています。
律令制の時に作成された、田畑や土地の境界の図を集録した台帳の「図帳」に尊敬の「御」が付き、「御図帳」となったものが、「水帳」に変化したと言います。
それでは、実際に、水帳の中身を見てみましょう。
水帳の実際のページ(文字起こしは右)
「同」とあるのは、今でいう字名が書かれている部分で、ここは前の見開きにある項目の字名(「ひかしうら」と書かれています)を受けて、「ここも同じ『ひかしうら』ですよ」ということを示すために「同」と書かれています。
「上畑」と書いてあるのは、畑の等級で、上中下があります。その下の「〇畝×歩」は面積です。一番下にある人名は、その査定された土地にかかる年貢(税金)の負担者です。
慶長9年の検地
慶長9年の検地(慶長検地と呼ばれています)は、江戸幕府ができてから行われた、全国的な検地です。新政権による、全国の土地把握です。
ただ、調べてみると、検地の具合は、地域によって割と違いがあるように見えます。当時の政治・支配の状況により、地域ごとの事情があったのでしょう。
袋井の慶長検地も、袋井市指定文化財の七ヶ条定書(https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/soshiki/27/2/bunkazai/shiteibunkazai/tokugawakesichikajousadamegaki.html)のころ(五ヶ国時代)の検地との関係が気になるところです。
五ヶ国惣検地と慶長検地とを比較する研究もあり、遠江や三河については、五ヶ国時代以来の人的結合関係や寺社とのつながりなどが、慶長検地に反映されているのでは、という説もあるのですが、関連史料も少ないので、まだまだよく分からない点が多いように思います。袋井市域も、同様に関連史料が少なく、現時点では何とも言えません。
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更新日:2023年10月19日