浅羽佐喜太郎(あさばさきたろう)
ベトナム支援に貢献。医師・浅羽佐喜太郎

浅羽佐喜太郎(1867年~1910年)
明治38年、ベトナム独立運動の指導者「ファンボイチャウ」は、日本にベトナムの窮状を訴え、援助を求めて来日。
しかし、日本政府は援助することなく、フランス政府の要請を受けてベトナム人留学生への圧力を強めました。
困り果てたファンボイチャウは、梅山(現在の袋井市梅山)出身の医師で神奈川県で大きな病院を開業していた佐喜太郎に援助を求め、佐喜太郎は大金を与えて励ましました。
佐喜太郎は、ファンボイチャウが日本を去った翌年に43歳の若さで病死。その死を知ったファンボイチャウは、感謝の気持ちを表すために、佐喜太郎の菩提寺に紀念碑を建てました。
ベトナムと日本を結ぶ義侠の精神は、今も語り継がれています。
(袋井市・市勢要覧:「郷土の偉人」より抜粋)

ファンボイチャウがひそかに上海で発行した「越南亡国史」
菩提寺に建てられた紀念碑(梅山・常林寺)
紀念碑の説明板(日本語・ベトナム語・英語)を設置

ベトナム語(Vietnamese) (PDFファイル: 586.4KB)
英語(English) (PDFファイル: 507.1KB)
浅羽佐喜太郎公紀念碑パンフレット(日本語・英語併記版) (PDFファイル: 2.9MB)
浅羽佐喜太郎公紀念碑パンフレット(ベトナム語版) (PDFファイル: 2.9MB)
日本語
袋井市指定文化財 浅羽佐喜太郎(あさばさきたろう)公紀念碑
石碑建立の背景
浅羽佐喜太郎は、現在の袋井市である東浅羽(ひがしあさばむら)に生まれ、神奈川県小田原に病院を開業し、そこでベトナム独立運動の指導者・潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)と出会います。
佐喜太郎は、彼らの活動に部屋の提供や金銭の支援をしました。しかし、フランスの弾圧が厳しく、潘は1909年に日本を去ります。翌年、佐喜太郎は亡くなり、二人は二度と会うことはできませんでした。
1917年、潘は日本を訪れ、佐喜太郎の死を知ります。翌年、潘は佐喜太郎の家族のお墓のある東浅羽村に石碑建立のために訪れ、村長の呼びかけに応じた村人と協力してこの紀念碑を完成しました。
石碑の簡単な解釈
私たちは、ベトナムが苦しい状況にあるため、日本を訪れた。
佐喜太郎様は私たちの志に共感し、無償で援助してくれた。
佐喜太郎様は、正義を重んじて、弱い者を助けるたいへん優れた人である。
しかし、今はもう佐喜太郎様はいない。
今の私たちの気持ちをどのように、誰に訴えたらよいのか。
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生涯学習課文化財係
〒437-1102
静岡県袋井市浅名1028
電話:0538-23-9264
メールアドレス:syougai@city.fukuroi.shizuoka.jp
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更新日:2021年05月31日