可睡斎
遠州三山のひとつである、萬松山可睡斎。曹洞宗の古刹で、室町時代に開山されたと伝わります。秋葉三尺坊のご神体をまつっており、秋葉信仰の総本山としても知られています。
11代目の住職が、徳川家康とその父親を戦乱の中から救い出し助けたことから、家康と 親交が深く「可睡斎(かすいさい)」の名前も家康が名付けたとも伝わります。
可睡斎の指定文化財・登録有形文化財
- 護国塔(静岡県指定文化財)
- 梵鐘(静岡県指定文化財)
- 示了然道者法語(静岡県指定文化財)
- 瑞龍閣(国登録有形文化財)
- 東司(国登録有形文化財)
護国塔
護国塔
境内西側の丘陵上にある護国塔は、明治44(1911)年に日露戦争の戦死者を祀るために建設されました。高さ17mの円形 ドームで、いち早く鉄筋コンクリート工法を取り入れた建物でもあります。設計は築地本願寺(東京都)などで有名な伊東忠太が行っており、ガンダーラの仏塔にならった形をしています。
昭和53年に静岡県指定文化財となりました。その後昭和54年度と平成10年度に、護国塔を長く守るための修理が行われました。
可睡斎護国塔保存修理報告書 (PDFファイル: 9.1MB)
梵鐘
梵鐘
可睡斎の梵鐘は、本堂南側の広縁西側隅の天井に掛けられ、現在も使用されています。線刻の銘文は摩耗が激しく、不明瞭な点がありますが、最初は遠州佐野郡富部郷(掛川市富部)にあった西宮八王子大明神に寄進されたもので、願主は植田彦三郎・二俣源左衛門外で、永正15年(1518)12月、鋳物師の久次によって鋳造されたことが読み取れます。表面がかなり破損しており、乳の一部が欠失したり、銘文の文字の一部が判読不可能ですが、形姿の美しい梵鐘です。
示了然道者法語
示了然道者法語
巻軸装(巻子本)「寛喜三年辛卯の年(1231)山城国深草安養院において了然尼に法要を説く」(道元禅師略年譜)その了然尼に示された法語です。 総字数404字漢文体をもって記されています。
内容については広く知られるものですが、諸本字句の上で多少の相違もあるものの、まさにその原型を伝えるものとして注目されます。
寛政11年8月に記された巻末識語があり、本来、永平寺に伝わったものと考えられます。その後、可睡斎へ移った時期や経緯は不明です。
可睡斎瑞龍閣と東司
瑞龍閣と東司は、平成26年に国の登録有形文化財に登録されました。
瑞龍閣は、昭和12年に建てられた木造2階建ての迎賓施設です。部屋ごとに桜や藤などの主題にそって、ふすまや欄間が飾られています。
東司とは、寺院のトイレのことです。総合受付横の平屋の建物で、当時最新の水洗施設を取り入れつつ、禅宗の精神にのっとった空間が作られています。
詳しくは下記のページで紹介しています。
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更新日:2022年06月08日